20年間の思い出と続いていく未来
熊本支部/上田 信博 上田 照美
石川さんから、4月の会報誌に載せるというレポートのお知らせがありました。気づいたのは3月に入ってからで、毎年のこと(申し訳ない‥‥)。
「あらら間に合わないね?」と主人に話しかけ、書かないよねという同意を求めるための呼びかけに、「あれから20年だね?【2001年充電の旅】から20年なんだよ」となぜか書けと言わんばかりに20年を強調する‥‥。ふと充電の旅を思うと、家の居間でじいちゃんを中心にして、薄井さんや、( ,,`・ω・´)ンンン? もうひとり若い彼だれだっけ???と記憶が薄れつつあるあの日が蘇る。まだ小学生だった3人の子供と充電の旅で泊まってもらった2人と、家族みんなでご飯を食べている光景が頭の中に蘇りました。そういえば、【2001年充電の旅】がなかったら、こんなにEVクラブに関わることになっていたかったし、私たちの活動もなかったような気がします。
マスキー法が始まったカルフォルニアで、ゼロエミッションの話が出てきた時に、主人が突然「これからは電気自動車ばい!」と言い出したのです。EVの略も知らずに、そうなんだと信じ込んだ妻! 2人の本格的な活動は、この2001年充電の旅で本格活動になりました。【2001年充電の旅】せっかくコンバートEVのAクラスがやってくるのだから熊本でもみんなに認知させなきゃと思い、誰も知らなかったらかわいそうだという思いで、まず「EVクラブくまもと」を勝手に立ち上げて、「アースウィーク熊本」に参加しました。(熊本では毎年春になるという環境団体がみんなで環境について考え、動くという一週間があります。)
パネルを作り、「これからは電気自動車の時代になります」と皆さんに訴えるところから始めました。このことで、いろいろな人との出会いがありました。熊本のたくさんの環境団体の人たちや、熊本県や熊本市の環境の担当者の皆さん、大学の先生、高校先生、熊本の各テレビ局の人たち。でも一番は「EVクラブ九州」(これはちゃんと佐賀の緒方さんが立ち上げてくれたもの)のみんなとの出会いでした。これは、充電の旅で薄井さんや古沢君(ごめんなさい、やっと思い出した)が九州のみんなを掘り起こし、佐賀の尾形さんが縁を結んでくれたものです。
熊本は九州の中心にあり、しかもうちが整備工場で道具がそろっていることもあり、「EVクラブ九州・電気自動車作ろう会」を始めました。毎月熊本に九州各地から集まり、一台の車をEVにコンバートするという楽しい会でした。最初はスズキセルボにダイハツのハイゼットEVの電気の部分を移植するというものでリアクトルをみんなで手作りしたり、モーターが直流分巻モーターだったのでスピードに乗るまでがのろのろで、それでもみんなで乗って楽しくって! それから九州のみんなで、いろんな車を何台も何台もコンバートしました。自転車から始まり、原付バイクやトゥクトゥク、スズキアルトやセルボモード、三菱キャブバンやプジョー。高校生を集めて毎年の電気自動車講習会、できた車を持ち込んで、エコ電レース、エトセトラ‥‥楽しかった!
あの始まりの日から20年‥‥昨年からの新型コロナウイルスにより、楽しみにしていた年1回の総会や忘年会もなく、電気自動車の講習会もなく、九州各地の高校生たちと毎年やっていた「エコ電レース」も昨年は熊本だけで記録会という形で済ませてしまいました。
あれから20年、皆さんも年を取ったように私たちも年をとりました(笑)。子供も巣立ちました。主人の両親は虹の橋を渡って行ってしまいました。今は残った私の両親の介護に追われながら、過ごしてきた20年を振り返って思うことは、「あの時の未来に私たちは今立っているのだろうか」ということです。20年前コンバートEVのAクラスを運転してみて、夢見た未来に私はいるのかな?
いろいろなイベントに出かけて行って、不格好で乗り心地の悪い手作りのコンバートEVセルボを展示しながら、「これからは電気自動車です」と宣言する私たちに、みんなから「どうしたの?」と問われる異分子のような存在だったものが、今では乗り心地のよい、珍しくもない恰好のいい市販のEVが普通に町の中を走り、心配していた充電施設があちらこちらに点在する今、私たちが見ていたあの頃の未来に立っているのかしら? 私たちの活動を知っている人からは、先見の目があったねと言われます。私たちが夢見ていた未来は、もっとワクワクして、楽しいはずではなかったの? 今はワクワクがありません‥‥でも確実にあの時の未来にいるのです。そして、まだ続いていく未来の20何年です。
これから電気自動車はどのようになっていくのでしょうか? 菅義偉総理大臣が「2050年カーボンニュートラル」宣言をされました。あと29年経て電気自動車が主力の世界を宣言されたのです。本来ならわくわくして、舞い上がりそうなことなのに、なんか冷めて見ている自分がいます。皆さんはいかがですか? これから私たちは何をどうして電気自動車に関わっていけばいいのでしょうか? これから29年先、生きている限り電気自動車に関わっていきたいと思います。いえいえ、電気自動車についていきたいと思っています。そしてもう一度、今から先のあの頃の未来を見てみようと思っています。
「君ゆえに あまた楽しき時すごし 死ぬ日となりぬ 神もかしこし 晶子」
‥‥‥電気自動車とこうなりたい。わたしです。
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