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タイトルモータースポーツの原罪
記事No265
投稿日: 2007/07/01(Sun) 10:50:17
投稿者WHO?EVジャンキー
きっし〜さんがEVを使ったモータースポーツについて掲示板で
質問されたので、前からちょっと考えていたことを書いてみます。

現在のモータースポーツは、主に内燃機関を使って、ドライバーが
コントロールできないほどの有り余るパワーを使えることで、
成り立っています。
舘内さんが「自動車の本質は過剰さにある」と言っていますが、
まさにその部分が現在のモータースポーツのスポーツ性を
支えているのだと思います。

既に普通の人の持っているドライビングレベルを超えた性能は
現在のEVでもすぐに実現できます。
EVでも同じようなスポーツ性を求める事は可能ですが、

モータースポーツに対して何を求めるのか?

そこを考えずにただ単に、「現在のモータースポーツの持っている意味」
を考えないでコピーすることは危険でさえあります。

現在の資源の有限性、交通事情や社会情勢などを考えざるを得ない、
その中でリアルで中途半端な性能のEVを走らせるのはなんででしょうね、
絶対的に正しい答はでませんけど、それぞれの人が自分で考える、
ということが重要だと思っています。

色々な考え、やり方があって、それぞれの事情もあります、
現在アメリカンな生活をするためには、自分の死んだ後の
事なんか関係ないとか、、、、
でも実際にそんなことがあり、(資本主義)発展途上国が
アメリカンな生活を目指すことを否定することも、難しい、、、

タイトルで・・・?
記事No271
投稿日: 2007/07/04(Wed) 08:50:00
投稿者WOODS < >

「だと思う…」「と考える…」
は、わかりました。

で、あなたは何をするのでしょう?
どうすべきであると思っているのでしょう?
モータースポーツのこれからを、どうお考えなのでしょう?

わたしは、「新しいモータースポーツ」を創造すべく
色々なイベントで試しています。

コマーシャルではないですけど、
思っているだけでは、何も変わらないのでは?

タイトル原罪とは?
記事No268
投稿日: 2007/07/02(Mon) 22:10:24
投稿者WOODS

 WHO?さんの書き込みは、単に問題提起ととってよいのでしょう
か?それとも、ご自身の意見?

 モータースポーツを、モーター(原動機を使った)スポーツと考え
るのなら、スポーツですから、「楽しみ」であれば良いわけで、する者
にも見るものにも苦痛さえ与えなければ、成立すると思います。
 現在行われている、オールドファッションド・モータースポーツが
すべてではないのではないでしょうか?『D1』のようなニュースタイ
ルのモータースポーツもや、他にもその原動機にあったスタイルのモー
ター「スポーツ」を創造することは、選択肢として考えられないでしょ
うか?
 もしも、モータースポーツを否定する要因があるとしたら、スポー
ツ全般の否定にもつながるようにも思われるのですが…

 「無駄」は、見方を変えれば「ゆとり」とはいえませんか?

タイトルRe: 原罪とは?
記事No269
投稿日: 2007/07/03(Tue) 22:15:45
投稿者EVジャンキー
>  WHO?さんの書き込みは、単に問題提起ととってよいのでしょう
> か?それとも、ご自身の意見?

それは読む人が、そう思えばそうなんでしょう。
単なるつぶやきみたいなものかもしれません。
原罪と言ったのは、単純に悪いことだとは思っていないからです。
原罪は、とてつもなく甘美で、それなしでは生きていけない、
生きる意味や価値が含まれている、と思ったからです。

モータースポーツはとても楽しく他にはない快感、満足感があります。
する者に与える一般的にいう苦痛が、快感にかわる場合もあるでしょう。
直接見に来るものに苦痛を与える事は無く、むしろ快感を与えるとも、
いえます。
一方、目に見えない部分で近隣の人は、排気ガスが臭かったり、
騒音や渋滞の元と思っているかもしれません。
(住宅に近いミニサーキットなどでは良く苦情になります)
EVであっても、現状では自走していけるEVは少ないので
ローダーやバンなどで運んでいる状態です。
全く関係のない遠く離れた南の島が温暖化で沈んでも、
私は知らないとか、知っているけど関係ない、という事を
どうしたら良いのかわからなくなってきています。

>  現在行われている、オールドファッションド・モータースポーツが
> すべてではないのではないでしょうか?『D1』のようなニュースタイ
> ルのモータースポーツもや、他にもその原動機にあったスタイルのモー
> ター「スポーツ」を創造することは、選択肢として考えられないでしょ
> うか?
>  もしも、モータースポーツを否定する要因があるとしたら、スポー
> ツ全般の否定にもつながるようにも思われるのですが…

今の時代、社会性にあった「モータースポーツ」を創造することは
その解決策の一つだと思います。
ただスポーツをやる側が過去の古き良き?時代にとらわれていると
難しいかもしれませんね。
またルールなどが複雑化していくと、単純明快なスポーツとしての
魅力に欠けてしまうかもしれません。

>  「無駄」は、見方を変えれば「ゆとり」とはいえませんか?

これは主観的なもので、昔はやる人にとってどうか、という
個人的な事だったのが、現在は社会的な許容範囲であるか
が問われるようになった、という事でもあるんじゃないでしょうか。
見方をかえれば「文化」をどう考えるか?「経済」で稼いだお金を
どう使うのかという事でもあります。
現状は「文化」という使い方を考えずに、経済活動を際限なく
自己目的化して進めてきた結果のような気もします。
(スポーツ全般は、文化に含まれているという前提です)

ただし、「美しい国」とかいうのは、誰にとっての美しさ?なのか
という問題があって、「美しさ」というのは個人の主観的なもの
だと思っています。
逆に普遍的なものになりえないから、アーティスト達は果てしなく
新しい「美しさ」追求して提示できるのかもしれませんね。

とりとめのない話になってしまいました、、、

タイトルRe: モータースポーツの原罪
記事No266
投稿日: 2007/07/02(Mon) 09:49:04
投稿者自己矛盾的EV愛好者
> その中でリアルで中途半端な性能のEVを走らせるのはなんででしょうね、

やはり本能に関わる部分ではないでしょうか。
自身の能力を飛躍的に高める(と錯覚させてくれる)モノへの憧れとか
未開拓な部分への野心とか・・・

今、人類が挑戦すべき最大の課題は「進歩」「発展」「快楽」を妥協する
ことでしょう。「進歩」をあきらめることが最大の「進歩」という
パラドックスに、それでも立ち向かって行かざるを得ないのが
現在の人類の置かれた状況の困難さを物語っています。

この課題に正面から向き合いたくない人が、「リサイクル」や「バイオ燃料」
といった子供騙しに逃げ込んでいるように思います。
何の解決にもならない事に薄々気づきながらも。

もしかしたら我が愛するEVも同じではないか、いやそうに違いないと
思いつつ捨てられない自分も、やはり彼らの同類なのですね。

タイトルRe: モータースポーツの原罪
記事No270
投稿日: 2007/07/03(Tue) 22:49:17
投稿者EVジャンキー
> 今、人類が挑戦すべき最大の課題は「進歩」「発展」「快楽」を妥協する
> ことでしょう。「進歩」をあきらめることが最大の「進歩」という
> パラドックスに、それでも立ち向かって行かざるを得ないのが
> 現在の人類の置かれた状況の困難さを物語っています。

そこらへんのことも有って原罪と言う言葉を使いました。
モータースポーツが技術開発に役立つとか、いったりしますが、
それは言い訳で、ただ単に面白いからやっているのです。
目先に役立つ技術開発など、本当に新しい事なぞ生まれません。
ノーベル賞の数なんか目指してるようじゃだめです。
ただ本当に不思議で面白いから、やっている基礎科学の研究とか数学みたいな
ものの役にも立たなそうものからしか真に新しい事は生まれないでしょう。

> この課題に正面から向き合いたくない人が、「リサイクル」や「バイオ燃料」
> といった子供騙しに逃げ込んでいるように思います。

エネルギーの循環サイクルのためには必要な部分ですが、
廃棄物を使わず、手っ取り早く使える、食料として使うべき部分を
バイオ燃料にしていたり、ライフサイクル全般で考えられていないので
ほとんど現在の生活を維持するための、言い訳に使われている。
ことが問題のような気がします。
再利用可能なエネルギー量で生活をまかなう、という視点が
抜け落ちているんじゃないでしょうか。