ベトナムでは、バイクのことを“ホンダ”と呼ぶそうである。世界で6000万台も売れたスーパーカブは、いまや普通名詞になりつつあるということかもしれない。そのスーパーカブが全面改良された。
初代スーパーカブは、1958年に登場している。全面改良は54年ぶりだ。
VWビートルも長い歴史をもっている。ゴルフに替わるまで、1938年の生産開始以来、2003年まで65年間も全面改良せずに生産を続け、トータルの台数は2,152万台超に達した。
設計年代が古いにもかかわらず、これほど長く全面改良せずに生産され続けられたのは、スーパーカブとビートルが二輪車として四輪車として、その核心をついた設計だったからだ。
モデルチェンジのたびに自動車メーカーから聞かされるのは、「時代にそぐわなくなったから」という言辞である。さらに突っ込むと、排ガス浄化や安全性の性能を向上させるためという。
しかし、たかが4年や5年で「時代にそぐわなくなる」ような自動車は、よっぽど設計がやわであり、マーケティング能力が低いのである。
環境性能にしろ、安全性能にしろ、たかが4年や5年で向上させなければならなのであれば、4年、5年前のその自動車はとてつもなく環境性能も安全性能も低かったということになる。即廃棄だ。
そんなアホーな自動車は買わない方がよい。えっ、国産車はみなそうだってか。ウーン。
モデルチェンジは、そうした優等生的理由で行うわけではない。マーケットの刺激である。
かつて20世紀の初頭にGMの社長になったアルフレッド・スローンは、かたくなにモデルチェンジを拒否するライバルのヘンリーフォードに対して、矢継ぎ早にモデルチェンジを繰り返してユーザーの欲望に火を点ける戦略を実施し、19年間で5000万台も販売したT型フォードを販売台数トップの座から引きづり降ろした。
そうした戦略の是非はともかく、自動車という商品はそういうものだ。
しかし、たがらといってモデルチェンジしなければ自動車や二輪車は売れないかというと、そうではない。その証明がVWビートルであり、スーパーカブである。やはりモデルチェンジを繰り返すのは、設計・デザインの能力が低いからである。自動車なり二輪車なりに求められるものがきちんと備えられていれば、その命は長いのだ。
さて、スーパーカブというからにはそれ以前に“カブ”があったということだが、その通りである。
カブは、正式にはホンダカブ号である。天才本田宗一郎の作と聞いている。1952年に、白いガソリンタンクと赤いエンジンカバーという派手ないでたちで登場している。ただし、バイクではなく補助エンジンだ。つまり、カブ号を好みの自転車の車体に取り付けて初めて原動機付き二輪車として完成車になる。
カブ号は大成功をホンダにもたらせ、その後の大躍進の原動力となった。ホンダは、カブ号によって大量生産のノウ・ハウを学んだのだった。
スーパーカブは、カブ号の後継者である。大成功の後継者というと、腰が引けて安全パイを振るものだが、どうしてどうしてホンダは次作で思いっきり飛躍した。そして再び大成功をおさめ、今日までにスーパーカブは6000万台も生産されることになった。
ホンダの原点をスーパーカブに置く人は多い。私の場合は、私のバイクの原点ともなった。私はスーパーカブに育てられたのだ。
最初の出会いは、長兄のスーパーカブであった。教師として家から遠い中学校に赴任した長兄は、原動機付き自転車で通っていた。ビアンキと呼ばれるイタリアのエンジンを付けた原動機付き自転車である。後にこのエンジンは、中学1年生の私の手で子供用自転車に取り付けられ、小さな桐生の街を暴走することになった。もちろん無免許である。この話をすると、果てしなくドリフトするので、今回はやめておく。
長兄は、ビアンキを卒業し、スーパーカブにグレードアップした。早朝、兄の目を盗んでは街に乗り出した。小学校6年生のころであった。
水平乗りを覚えたのも、兄のスーパーカブだった。浅間火山レースの記事が載るモーターファン誌を覗くと、観客席前の直線で、みな水平乗りをしている。解説記事を読むと、このライディングフォームは空気抵抗が少なく、スピードが出るということであった。当時の新型バイクの試乗記というかテストライディングの記事を見ても、テストコースでテストライダーが水平乗りをしていた。
そこで私もスーパーカブのサドルに腹を載せて足を延ばした。けっこう簡単に水平乗りができた。それではと、今度はハンドルから両手を離して、左右に広げた。この方がなんだかカッコウよかった。それで、パーフェクトな水平乗りは足を延ばし、両手を広げるライディングフォームだということにした。
中学校の校庭でゼロ~100メートル加速テストを行ったのは、スポーツカブであった。これは、1年下の生徒の親がホンダの代理店を経営して大儲けをしたお礼に、息子の通う中学校に寄付をしたものであった。
といっても教師のだれもどうしてよいかわからない。そこで、私がしゃしゃり出て、さっそくテストにおよんだというわけである。
校庭に白線でスタートラインを引き、体育の教師から借り出したメジャーで100メートルを測って、ゴールラインも引いた。
回転を上げてクラッチをミートする方法も、モーターファン誌で勉強していた。タイムは体育の教師に借りたストップウォッチで測った。
しばらくすると飽きてしまった。そこでマフラーを外したら排気抵抗が少なくなってパワーが出て、タイムが縮まるかも知れないと思った。
バリバリ、バリバリ。校庭を走り抜けるスポーツカブの排気音は、校舎に反射し、窓を震わせた。
タイムは、速かったり、遅かったり。たった100メートルで差が出るほどの効果はなかった。
それでやけになって走るっていると、その名を学校中にとどろかせていたすぐ殴る暴力教師が現れた。ヤバイと思っていると、「今、テストの採点をしているのだが、うるさくてできない。しばらく休んではもらえないか」という。「そうか。そういうことならしかたない。しばらく休むからその間に採点するように」と、偉そうにいってやった。
スポーツカブは、ようやく始まったバイクのレースにさまざまに改造されて登場した。ライバルはトーハツ・ランペットであった。2サイクルのランペットはスポーツカブよりも高回転が可能でパワーがあり、操縦性に優れていた。高校時代に本屋、パン屋、自動車修理屋でアルバイトをして、私は中古のランペットを買った。ようやく手に入れた運転免許をポケットに入れ、マフラーを外して景気の良い排気音を轟かせて走った。
ということは、しかし今回のテーマではない。むしろスーパーカブは、私の兄のように通勤に使ったり、すし屋やそば屋の出前に、クリーニング屋の配達に、郵便配達に、魚屋、八百屋.....などなどたくさんの労働者諸君の労働を助け、軽減したということをいいたかったのだ。
ただし、同時にレースに使われ、改造部品がたくさん作られと、二輪車文化の創造にも大変に役立ったことは忘れてはならない。文化を広め、深めないバイクも自動車も、そんなものは下の下なのだ。
では、こうした実用バイクは実用性が高ければ、つまり効率が高ければ良いのだろうか。
おそらく、二輪車メーカーの経営者、企画者、エンジニアは、「もちろんだ」というに違いない。「余計なものは不要だ。効率こそが神だ」と。
私もそう思う。商用車に装飾は不要だ。しかし、だからといって、乗って楽しくなくても良いとはいえない。ヨーロッパの実用二輪車も、実用車のどれも乗って楽しい。
ヨーロパ的バイク・自動車造りの精神は、それが乗用であろうと、実用であろうと、商用であろうと、乗って楽しくなければバイクでも自動車でもないというのである。
考えてみれば、通勤も、配達も、荷物運びも、人生の一部である。しかもそれを仕事としている人たちは、人生の大部分である。その時間がつまらなくて良いとはいえない。実用車だから、あるいは商用車だから、乗って楽しくなくともいい。ただひたすら効率を高めればよいというのは、人間に対する冒涜である。関係者は、このことをけっして忘れてはならない。
楽しいバイクや自動車は、使い方がさまざまに広がっていく。ホイールやタイヤを換え、ボディに装飾し、エンジンやサスペンション、ブレーキをチューンし、レースに出場し、クラブが生まれてオフ会が催され、仲間が広がっていく。
スーパーカブは、便利で、効率が良く、実用性に長けていた。しかし、スーパーカブを長生きさせたのはそれだけではなかった。乗って楽しく、改造して楽しめたからである。つまり、6000万人の人たちに愛されたということなのだ。
同じことはVWビートルにいえる。たとえば、この古い設計の第一世代ビートル(現在はニュー・ビートルからザ・ビートルに代わっている)を電気自動車に改造すると、そのすごさが分かる。モーターに交換するとガソリンエンジンよりもトルクもパワーも増すのだが、電気ビートルは、ぴたっと安定して高速道路を疾駆するのである。基本が優れた自動車は、誕生から74年たっても、しっかりと走るのである。
そして、ビートルはさまざまに改造された。カリフォルニアではビートルのシャシーを使ったバギーが砂浜を駆け、サーキットではその水平対向エンジンとトランスミッションを使ったフォーミュラー・ビートルが駆け巡ったのである。文化を創造できない自動車は、名車にもなれず、実用車としても失格だ。
ホンダは、そのモータースポーツ活動の派手さから、一部にはスポーツカー・メーカーと誤解されている。しかし、ホンダの良さはスポーツカーにはない。私にいわせれば、ホンダはむしろスポーツカー造りは苦手である。車種も少ない。NSXもS2000も、世界のスポーツカーを前にすると、性能はともかくとして「味造り」は稚拙である。
ホンダの良さは、スポーツカーではなく実用車にある。「廉価な商品を世界の人々に届ける」という本田宗一郎氏の血を引き継いでいるのは、実用車群なのである。初代シビックに始まる一連のシビック、米国で大成功を収めたアコード、そして先駆的ミニバンとなった初代オデッセイ。これらは優れた実用車だ。実用車において、ホンダはときにヒットを出す。フィットが最近の例だ。
もし、ホンダに課題があるとすれば、国産自動車メーカーの多くが抱えている「実用車にドライビングの楽しさを付与すること」だろう。ミニバンばかりという商品ラインアップに問題があるのではなく、それらのミニバンが乗って楽しくないことこそが問題なのである。その延長上でスポーツカーを作れば、性能が高ければ良いという効率主義に陥る。これは「広ければ良い」というミニバンの効率主義的設計となんら変わらない。スポーツカーこそ運転して楽しくなければならず、そうしたスポーツカーが作れれば、必ず楽しい実用車も作れる。
ミニバンには、ドライビングの楽しさなど不要だ。必要なのは室内の広さと価格の安さだというのであれば、それは消費者の一面的な理解に過ぎない。消費者は、消費者なるマーケティングの対象である前に、血も涙もある人間なのだ。
せめてCVTのフルラインアップはやめたらどうだろうか。
文:舘内端