概要
地球温暖化を促進するCO2の排出量は、とくに自家用車によるものが大幅に増えています。 90年から01年の11年間で64%も増加しています。この未曾有のCO2排出量増大を受け止め、 参加者と一緒にエコドライビングについて考えるフォーラムです。
オープンフォーラム「CO2増大に立ち向かえ」 | |
日時: | 2004年6月12日(土)12:00〜19:00 |
場所: | 大磯プリンスホテル |
主催: | 日本EVクラブ |
協賛: | 横浜ゴム(株) |
内容
今年の4月の気候も平年とは大きく異なるものでした。
真夏並みの暑さの翌日は、雪が降ってもおかしくないほど冷え込んだり、これが地球温暖化による気候変動の影響によるものでないことを願いたいものです。
その地球温暖化を促進するCO2の排出量は、とくに自家用車によるものが大幅に増えています。90年から01年の11年間で64%も増加しています。
そこでオープンフォーラム を開催し、増大するCO2についてみなさんで考えてみたいと思います。
第1部 増大を続ける自家用車のCO2排出量
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第2部 基調講演「ヒトは環境を壊す動物である」
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第3部 ディスカッション
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第1部は、64%も増大してしまった自家用車のCO2排出量の原因について、経済産業省資源エネルギー庁からご報告をいただきます。重くて大きな3ナンバー車が増えたことが、その原因の一部だということです。
第2部は、名古屋工業大学大学院の小田亮先生から、環境を壊さざるを得ない“ヒト”について講演をいただきます。ついアクセルを全開にしてしまうのは、“ヒト”がまだ狩猟採集時代の遺伝子のままだからということです。しかし、一方で感情の赴くままに行動すると、自然と共生できるともいえるということです。これまでとは違う環境保護の考え方について学べるでしょう。
第3部は、昨年のオープンフォーラムで大人気だった京都教育大学の杉本厚夫先生をお迎えし、第1部、第2部を受けて、みなさんとディスカッションしたいと思います。64%ものCO2増大は、私たちが近代文明の価値観のもとで生活しているから生じた問題です。これを同じ価値観(省エネエコドライブ)で解決することはできないのではないか?それに変わる価値として“美”をおいてみます。みなさんの盛んな議論を期待しています。
レポート
64%ショックから立ち直るには...
6月12日のオープンフォーラムでは、横浜ゴム(株)のご協賛をいただき、経済産業省からは田中哲也課長補佐にご参加いただき、ご講演をいただきました。また、名古屋工業大学大学院助教授の小田亮先生にはご講演を、またお馴染みになりつつある京都教育大学教授の杉本厚夫先生には大ディスカッションのコーディネーターをお引き受けいただきました。講師の方々と、熱心に討論に参加いただいたみなさんに感謝します。実りあるフォーラムだったと思いますが、いかがだったでしょうか。
また、田中哲也課長補佐のご講演で、90年から01年の自家用乗用車のCO2排出量の増加割合が、64%から52%に訂正されました。ここで改めて訂正したいと思います。
しかし、52%といえども驚くべき数字であることに変わりありません。改めてReducing CO2、地球温暖化防止に取り組もうではありませんか。
一方、エコドライビング=省エネ運転には、疑問符も付けられました。そんなものにCO2排出量削減の効果があるのかという疑問ではありません。そうではなく、エコドライビングは楽しいものではなく、したがって支持も受けにくく、たとえ始めても長続きしないのではないかという意見です。
そのような意見を受けて、フォーラム/総会の翌日に同じ大磯プリンスホテルで開催されたチャレンジEVミゼット・レースでは、これまでのエコドライビングとはその概念を異にする新しいエコドライビング、ニユー・エコドライビングに基づいた競技が行なわれ、多くの参加者から「楽しい」と支持をいただきました。
64%ショックから立ち直り、CO2排出量削減にどう立ち向かえばよいか。フォーラムとチャレンジEVミゼット・レースをとおして、日本EVクラブではそれについてどのような提案を行なったか。ここで整理してみたいと思います。
小田亮先生の提案
フォーラムは3部構成で行われました。第1部は、経済産業省の田中哲也課長補佐のご講演をいただきました。
改めて整理すると、90年から01年の11年間で自家用乗用車のCO2排出量は52%も増加してしまった。その原因の大半は、自家用乗用車全体の走行距離の伸長であり、そのまた原因は保有台数の増加(1.6倍)である。これは一家に1台を超えて、一人に1台の普及率に近いものである。ただし、車重が重くしたがって燃費も悪いSUVや高級車、3ナンバー車の増加も一因である。
一方、自家用乗用車単体の燃費は、平成22年燃費規制を前倒しで実施する等、カーメーカーの努力もあった。しかし、保有台数が大幅に増加したために、その燃費改善の努力と成果も水泡と帰してしまった。
ということで、問題をさらに整理すれば、「一人に1台という米国並みの自家用乗用車の普及こそが問題である。それは、まぎれもなく私たちの問題ではないか」ということです。
第2部は小田亮先生からご講演をいただき、第3部は杉本厚夫先生のお話に続いて先生のコーディネイトで会場を交えたディスカッションを行ないました。
まず小田先生のご講演を整理しますと、講演の題は「ヒトは環境を壊す動物である」でしたが、お話は意外な展開を見せました。
まず「環境問題とは心の問題である」ということです。例をあげれば、人は自家用乗用車に乗りたがる心をもっているということで、それによってCO2を排出し、地球温暖化が促進されるわけですから。
では心とは何かということですが、小田先生のご専門である進化心理学的には、「心とは情報処理機構である」ということです。
心は情報処理機構なのですが、たいした理由もなく自家用乗用車に乗りたがる心を私たちはもっているわけで、心はいわゆる近代合理主義的という意味で合理的に働くわけではないということを示しています。
たとえば通勤に、通学に、買い物にといっても、それらはいずれも他の交通に代替が可能なのに、それでも自動車を使います。「人間(の心)は、いつも合理的な判断を下すとは限らない」ということです。
なぜ、心は一見、近代合理主義的には不合理に情報を処理することもあるかというと、「心は進化の産物だから」ということです。
少々わかりにくいのですが、進化そのものが近代合理主義でいうところの合理的なものではないからで、そうした進化に基づいて心が進化したとすれば、心もまた合理的にものを判断するとは限らないということです。
自然には何一つとして無駄なものはないといわれますが(筆者注)、心は人間が環境に適応するために必要だったということです。そして、環境の変化に応じて(自然淘汰を通じて)進化してきました。
その結果、次世代により多くの遺伝子を残せるよう自身が行動する心の働きが残されました。心も人から人へと遺伝するということであり、遺伝の内容には自己利益だけではなく利他行動を通じて、ときには自己犠牲をかえりみず、自分を捨ててまで子供や孫が生き残れるように行動するというものです。
このような心の遺伝子の働きを生かせば、環境問題も解決できるかもしれません。
しかし、遺伝子が自然淘汰されるには大変に長い時間が必要です。現在の私たちの(心の)遺伝子は農耕を始めた時代どころか、まだ狩猟採取時代のままです。グローバルにものを考えたり、未来を考えたりできるようにはなっていません。世界がもし100人の村だったらという本がありましたが、現在の人間が考えられる集団の規模はたった150人程度だということです。
Think Globally, Act Locallyといわれるのは、そう考え、行動することがむずかしいからでしょう。身の丈サイズでものを考え、行動することが、脳(心)の原理に合っています。
心には他者と協力することで子孫を残そうとする遺伝子が残されている(協力推進メカニズム)ことを生かしつつ、脳(心)のクセ(遺伝情報)に合った世界のとらえ方をし、脳(心)のクセ(遺伝情報)を生かせるような形で社会・文化システムを構築していくことが、エコロジーなライフスタイルを持続する秘訣ではないでしょうか。
つまり、利他行動もできる心を生かして、狩猟採取時代の心で対応できる社会であれば、エコドライブも可能で、長続きできるのではないかということです。
以上が、小田先生のお話の骨子です。では、これを実際の行動に結びつけるには、どうすればよいでしょうか。ということで、次は杉本先生のお話に移りましょう。
美はエコにあり
自分のことは自分でしない
例によってというのも変ですが、お話は後出し負けジャンケンで始まりました。去年のフォーラムあるいは去年の日本EVフェスティバルに参加された方はご存知ですが、後出し負けジャンケンは、パーが先に出たら、自分は後からグーを出して負けると勝ちというルールです。なかなかうまくいきません。
なぜ、うまくいかない(負けられない)かというと、勝つように、勝つようにとしつけられているからです。勝つと親から、先生から誉められた、ご褒美をもらえたという経験からパブロフの犬状態の感覚、感性が作られてしまっているので、なかなか負ける行動がとれない(パーがでるとグーを出す)ということです。
これを言いかえると、理性(Principle)は感性、感情に勝てないといえます。理性ではパーが出たらグーを出すのだと分っていても、ついチョキを出してしまうということです。
だからといって、知性(Merite)でもうまく行きません。禁煙が良い例です。禁煙こそ、理性では守れず、長続きしない典型的な例でしょう。
禁煙すると小遣が減らない、病気になりにくいというメリットがあるといっても(知性的判断)、メリットが少なかったり、それと反対のデメリットがあると、やはり禁煙は長続きしません。それよりも、禁煙するとなんとなく気分が良いからとか、気持ち良いからとか、そういったあいまいな感情、感性(Vagueness)であると、長続きできます。
人間(の心の遺伝子)は合理的ではないというお話がありましたが、合理を理性的、知性的とすると、人間(の行動)は合理的でも、知性的でもなく、感覚や感情にもとづいた、あいまいなものなのでしょう。これが、人間の脳(心)のクセではないでしょうか。
とすれば、たとえばアイドリングストップも脳(心)のクセに合ったやり方をすれば、長続きできるのではないでしょうか。
つまり、アイドリングストップをすべきである(理性)でも、アイドリングストップをすると儲かる(知性)でもなく、アイドリングストップは気持ち良いですよ、楽しいですよ(感性)という勧め方であり、やり方です。
このディスカッションの題目は、「CO2増大に立ち向かえ。美はエコにあり」となっています。美を感覚、感情、感性に属するものとすれば、理性でもなく、知性でもなく、エコは感性であるということでしょう。
エコドライビングもまた、理性でも、知性でもなく、楽しくて、気持ち良い(美であり、感性である)行為、行動として、実践し、勧めることが良いのではないでしょうか。
もう一つは、コミュニケーションの大切さです。「自分のことは自分でしない」という著書(杉本)があります。自分でしなさいではなく、「しない」です。念のため。
先ほど、自家用乗用車のCO2排出量が52%も増大した原因は主に保有台数の増加だというお話がありました。これは、いわば自分のことは自分でしなさいという教育の結果です。というのは、自分の移動は自分でしなさいとなると、一人に1台の自家用乗用車が必要になってしまいますから。
一方、「自分のことは自分でしない」となると、他人に(自分の移動を)お願いしなければなりません。
ところで、エレベーターに乗って、行き先階のボタンを自分で押す人? だいぶいますね。では、人に押してもらう人? このフォーラムの人はけっこう多いですね。
人にボタンを押してもらう人は、自分のことは自分しない正しい人です。その代わりに、お願いする人とコミュニケーションをしなければなりません。
自分のことは自分でしなさいというのは、自立の言葉であり、孤立の言葉でもあります。こうして近代人は、一人ぽっちに、孤独になっていきました。
一方、自分のことは自分でしないとは、コミュニケーションの始まりです。実は、環境問題を解決するには、コミュニケーションがとても大切なのです。
美はエコにあり、自分のことは自分でしないことが、エコドライビングのこつではないでしょうか。
以上が杉本先生のお話ですが、それに先立って、私が「白タクのすすめ」なる提案をしています。この提案が環境問題の解決にはコミュニケーションが大切だという杉本先生のお話につながっていきました。
白タクのすすめ
私(舘内)の提案ですが、実は日本EVクラブの会員のみなさんに教えていただいたエコドライビングの秘訣です。
ご存知のように、白タクは国からの免許もなく白ナンバーのクルマで勝手にタクシー行為を行なうことです。もちろん、税金も払いません。深夜の駅前や、空港には白タクが出現したものです。
白タクは立派な? 違法行為であり、すすめられるものではありません。しかし、自家用乗用車のCO2排出量削減には立派に役に立つと思うのです。
今回の自家用乗用車のCO2排出量の増大原因は、保有台数の増大であり、その結果、総走行距離が増大したことでした。つけ加えれば、燃費改善技術も大火事を前にした一杯のバケツの水ごときで、役に立たなかったのです。
保有台数の増大は、世帯数の増加にありあまるほどの増大です。つまり、すでに述べましたが、一家に1台を超えて一人に1台に近い普及です。ちなみに、02年の自家用乗用車の保有台数は約5420万台で、免許保有人口は約7000万人超です。
とすれば、1台のクルマをみんなで使えばよいのではないでしょうか。カーシェアリングです。
以前、聞いた話では、ワシントンD.Cの郊外では自主的なカーシェアリングが行われているということでした。街に入る際に高速道路を使うと、二人乗り以上では空いたレーン、カープールを使え、大変にスムーズに走れ、時間を短縮できます。また、街中での駐車場代もばかになりません。
そうしたこともあって、郊外の広場にクルマを止めると、その日に街でクルマを使う必要のない人が、クルマで入る人を探し、どうしてもクルマで行きたい人がいっしょに乗ってくれる人を探します。両者(3人,4人)の条件が合うと、みんなで1台のクルマに乗ってワシントンD.Cに向かうということです。
こうしたカーシェアリングが自然に出来上がったというのは、雑多な民族がひしめき合うのでコミュニケーションを大切にする米国ならではの話かもしれません。
とすれば、日本でもカーシェアリングをしようということになります。その際に、誰が誰を乗せても、お金を取っても(取らなくても)良いということにしておけば、つまり、だれでも白タクをして良いと法律改正をすれば、カーシェアリングもずっとやり易くなるのではないでしょうか。という提案です。
実は、このカーシェアリングは、チャレンジEVミゼット・レースではいつでも、去年の日本EVフェスティバルでは強力に推進したものでした。1台のEVに何人乗っても良くて、一人乗ると1周あるいは2周の周回数をもらえるというものです。
チャレンジEVミゼット・レースでも日本EVフェスティバルでも、20人近いドライバーを乗せたチームが勝利しました。カーシェアリング・レースといってもよいモータースポーツであり、勝利の秘訣は、いかにたくさんのドライバーを勧誘できるかであり、コミュニケーションの勝負です。
また、2001年に実施した「2001年充電の旅」では、日本全国で充電のためにコンセントをお借りしました。これは、いわばコンセント・シェアリングでした。
白タクの発想は、こうした日本EVクラブの活動から思いついたものです。みなさんに教えていただいたといってよいでしょう。
文/舘内端