私は、生活習慣病です

舘内 端

10数年も前のことですが、日産の北海道での試乗会に出かける朝のことです。右足の親指の付け根が真っ赤になって腫れこけて痛くて動けず、「申し訳ない。足、腫れちゃって試乗会、キャンセルさせてください」と電話をしたのでした。

恥ずかしくて、穴があったら入りたいほどでした。もっとも数日もすると、すっかり恥は消えてしまったのですが。
腫れた右足を引きずって病院に行きました。町内で慕われている医院長に「先生、外反母趾で腫れちゃって...」と言ったのですが、先生は一目ちらっと見ただけで触りもせず、
「これ、痛風。一生治らないよ」
と冷たく言い放ったのでした。
私は、「えっ?」という表情で原因を尋ねました。すると、
「旨いものばっかり食ったろう。立派な生活習慣病だ」
というのです。ああ!

不思議なことに、1カ月ばかりして腫れも引き、赤みも取れてみると、あの痛みが懐かしくて、親指の付け根を撫ぜている自分がいるのですよ。それよりも何よりも、金もないくせに旨いもの食いは少しも直らないのです。生活習慣とは困ったものです。
2004年の1月6日に最後のタバコを渋谷のセブンイレブンの入り口の灰皿に捨てて、私はタバコを止めました。禁煙してかれこれ12年。それでも前の人が歩きながらタバコを吸っていると、その匂いが恋しくて、思わず後を追って残り煙を吸い込んでしまうのです。習慣とは恐ろしいものです。
出ると痛い、切れるともっと痛い、腫れるとさらに痛い脱肛、切れ痔、イボ痔も、生活習慣の悪さが作る病です。手術台の上で尻を突き出して慈恵医大の若くて綺麗な女医さんに切ってもらって直ったのですが、フンをするたびにあの痛さが懐かしいのです。困ったものです。生活習慣は……。

そうした生活習慣の中で、もっとも強固で、癖が悪いのがエンジン習慣病です。これは、はっきり言って治りません。
町を走る自動車の排ガスの臭いを追いかけて大きくなった私は、もっと排ガスの臭いが嗅ぎたくて、エキゾーストノートだと音楽に喩えられる排気音が聞きたくて、とうとうレーシングカーの設計者になったしまったのです。いまでもオイルの焼ける匂いと、レーシングカーの発する排気音が好きでたまりません。

1977年の12月のことでした。この年に開催されたF1グランプリも終え、寒風吹きすさぶ富士スピードウエイのピットにいた私は、後にF1チャンピオンになるケケ・ロスベルクの右足が演じるエキゾーストノートに痺れていました。
彼は「セナ足」と呼ばれることになったアクセルワークをすでにこのとき会得していて、コーナーの出口で専売特許のように「パッ、パッ、パッ」と排気音を切り切れに発するのを常にしていたのです。
ロスベルクが乗ったのは、コジマが開発したKE007でした。エンジンはV8のコスワースDFV。このエンジンの排気音は、レーシングドライバーさえも虜にする素晴らしいものでした。1万回転を超えようかという頃になると、もうこれ以上は出ないというぎりぎりの高音を発するトランペットのようでした。
チーム・コジマが借り切った富士スピードウエイには、他に走るレースカーもなく、しかも0度近くに冷え込んだ山の空気が高音を巧みに響かせていました。富士スピードウエイが、大きなコンサートホールのようになったのです。
そこをケケ・ロスベルクの操るコジマKE007がセナ足を駆使して、疾駆したのです。私は頬を伝わる涙をこらえ切れませんでした。エンジン音が人を泣かせるなんて……。

そうして排気音病に罹患した私は、BMW i3 のレンジエキステンダー用のエンジンが発する低音でさえも、懐かしく、哀しく聞こえてしまうのでした。ああ!

生活習慣が改めにくいのは、そこにどっぷり浸かると、なんとも懐かしく、安心できるからでしょう。

この欄を賑わせている寄本好則さんの感じたレンジエクステンダーi3の「安心感」とは、電欠の心配が(しばらく)ないという安心感とともに、エンジンへの憧憬に似た安心感もあるに違いありません。寄本さんはエンジンの排気音を子守唄にして、エンジンに抱かれて育ってしまったのです。

参考記事●BMW i3ドライブ日記『レンジエクステンダーは必要なのか?』使いながら考えてみた

EVスーパーセブンでの日本1周急速充電の旅を終えて愛車アルファロメオを手放した寄本さんですが、心の奥底にはアルファの心地良いあの排気音が仕舞われていて、ときどき顔を出すのです。これを人は、「アルファの呪い」と呼んでいます。アルファを売り飛ばした人は、みなこの呪いから逃れられないといいます。

アルファの呪いから逃れるには、またEVスーパーセブンで旅に出て、すっかりエンジン生活習慣を洗い流すのが、最高の治療です。ほかに治療法はありません。

あれ、舘内さん。全然試乗記じゃないんですけど。ww(寄本)