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舘内端の「自動車の力」:第6回 「ホンダは、ホンダ自動車ではなかったのだ」

第6回 「ホンダは、ホンダ自動車ではなかったのだ」

いきなりだが、「うちはホンダ自動車じゃないので....」と、取締役専務執行役員の山本芳春氏が私の質問に答えた。

山本芳春専務

ホンダは自動車メーカじゃない? いや、いや。そうはいっていない。ホンダは“ホンダ自動車”ではないので、自動車だけ生産しているわけではないと述べたのだ。

ご存じのように、ホンダは二輪車も、パワーボートも、ジェット機も、耕運機も生産している。確かにホンダ自動車ではない。しかし、今回ほどそのことを実感したことはなかった。

4月23日にホンダは、前回のブログで予告したとおり、「ホンダスマートホームシステム実証試験」について発表した。実証試験のために埼玉大学の門前に2棟の住宅を新築する力の入れようである。

そこには、フィットEVを初めとして、電気バイク、電気シニアカー、燃料電池車と、ずらっと電動車が並んでいた。そこまでなら、昨今の電動化の波から十分に納得できる。

ところが住宅をのぞくと、ガスエンジンコジェネレーション、定置型電池、給湯システムが玄関先に並び、屋根にはソーラーパネルが設置されていて、さらにこれらの電化製品?を統合するセンターコントロールシステムが鎮座ましましていた。

ホンダスマートハウス

そして、これらはいずれも“ホンダ製”なのである。将来に“ホンダホーム”なる系列企業が生まれれば、ホンダはもう完璧な住まいの総合メーカーとなる。

で何をするのかというと、電気の東京電力からの離脱だけではなく、エネルギーの地産地消ならぬ「家産家消」(ホンダ)であり、CO排出量の80%の削減だ。エネルギーの自立と地球温暖化防止が目的だ。

エネルギー論にドリフトすると切りがないが、私たちは電力会社に首根っこを押さえられている。考えてみれば殺生与奪の権利を電力会社に与えてしまっているのだ。そんなことはまったく考えなかった私たちだが、去年の3.11以降、計画停電を押し付けられ、電気代の値上げも受け入れざるを得ない状況を迎えるにあたって、はたと気づいたわけである。

人類にとって、いや、すべての生命にとって、エネルギーは必要不可欠である。エネルギーなくして生命を維持することはできない。それは、エネルギーを握った勢力によって私たちは支配されることを意味している。

それに気づけば、エネルギーの支配権をめぐって暴動が起きてもおかしくない。そうして、世界は石油エネルギーの権益をめぐって戦争しているわけだ。

政府権力者は、そのことに国民が気づかないように十分にガードしてきたのだが、3.11以降、私たちは電力会社に自由を奪われていることを否が応でも気づかざるを得なくなった。

エネルギーとは自由の問題だ。自由とは権利の問題である。つまり、日本国民に健康にして自由に生きる権利を保障するのであれば、それはエネルギーの使用権を保障するということでもある。私たちは自由にエネルギーを手に入れる権利を有する。

だが、現在は電力会社の送電線からの電気を切っては生活できない。これはきわめて不自由である。

フィットEV

で、どうするか。自分でエネルギーを(勝手に)作ればよい。それを可能にするのが、エネルギー技術である。そして、その技術を私たちは手に入れつつある。これは自由を手に入れつつあるということだ。エネルギーを手に入れるとは自由を手に入れることなのである。

ホンダの発表会は、そうした意味で電力会社からの独立=(エネルギーの)自由の獲得を掲げた発表会であり、エネルギー支配権を大企業=電力会社から庶民が取り戻す集会でもあった。えっ、そんなことはホンダはいっていないってか。まあ、ともかくそういうことなのだ。

ホンダが用意した庶民エネルギー獲得装置は、まずホンダソルテックが生産するソーラーパネルである。さらに上記のガスエンジンコジェネレーション、給湯装置、定置型リチウムイオン電池、電気自動車、これらのエネルギー装置を全体制御する装置である。

左から定置型電池、ガスエンジン、給湯装置、上部は全体制御装置。

たとえば雨、夜間等でソーラーパネルの発電量が減った場合はガスエンジンを動かして発電する。ガスエンジンの燃料は都市ガス(天然ガス)だ。もし、災害で都市ガスが止まった場合は、備え付けのLPガス(プロパンガス)で動かす。ソーラーパネルとガスエンジンでまずは基本的なエネルギーを供給する。

コジェネレーションとは熱電併給である。ガスエンジンで発生した熱でお湯を沸かす。これを貯めておくのが給湯装置だ。

たとえば、電気は欲しいが熱はいらないような場合には、余った熱でお湯を貯めておく。

あるいは逆に電気はいらないが熱が欲しい場合は、余った電気で電気自動車や定置型のリチウムイオン電池を充電する。雨の日や夜間に電気が必要で熱はいらないような場合は、電気自動車が家にあればそれと定置型電池から電気を供給する。

これらを統合してエネルギー効率を最大に制御するのが、センターコントロールシステムである。いってみれば、スマートハウスの頭脳だ。

ちなみに、このようなエネルギーの制御を全国規模で行うのがスマートグリッドである。

やがて家にも社会にも電気自動車は不可欠なエネルギー装置になる。そして、そのエネルギー装置は場合によっては走ったりするのだ!

ホンダは、この実証試験を5~6年行って実用化したいということである。ということは、2020年近傍にホンダは(自動車も生産する)エネルギー総合企業になるということでもある。先に触れたが、ここにホンダホームが重なれば完璧だ。

さて、自動車だ。こうなると2020年には自動車は従来の自動車の概念をはみ出して、家の、あるいは社会の走るエネルギー装置になってしまう。

前号で、この実証試験の発表会には自動車雑誌編集者やジャーナリスト、評論家は来ないだろうと予想した。

この予想は半分当たって、半分外れた。こうした環境・エネルギー関連の発表会には必ず顔を出すいつものジャーナリスト、自動車評論家諸氏だけは、今回もしっかり取材していた。また、自動車雑誌ではル・ボランの女性記者が取材に来ていた。

ただし、取材に来ていたからといって記事になるとは限らない。フリーのジャーナリストや自動車評論家は、「どこの自動車雑誌も記事を買ってくれないですよ」と、胸を張って元気に答えてくれた。とても嬉しかった。

私は会場の質疑応答でめずらしく質問に立った。山本専務に、単刀直入に「これからの自動車メーカーは、自動車だけ作っていてはやっていけないのでしょうか」と質問した。その答えが冒頭の「ホンダはホンダ自動車ではない.....」というものだった。

答えを勝手に解釈すれば、自動車だけ作っている自動車メーカーは2020年にはそうとうに遅れることになるだろうということだ。自動車も、ソーラーパネルも、ガスエンジンコジェネレーションも、定置型リチウムイオン電池も、全体の制御装置も売らないと、自動車メーカーとして認められなくなるだろう。ただし、その場合の自動車は電気自動車でないと話にならないが。

そして、このことは自動車にかかわる人たちに変化も要求する。

たとえば自動車整備士は、自動車の整備ができるだけではなく、ガスエンジンや定置型電池を取り付けたり、ソーラーパネルを取り付けたり、全体制御装置の修理もできなければならない。その場合、電検の1種、2種の資格は必須となるだろう。

自動車セールスマン、ウーマンたちは、ガスエンジンも、ソーラーパネルも、定置型電池も、制御装置も売らなければならないし、十分な知識を持たなければならない。

自動車だけを扱う自動車雑誌なるものは存在感を失っていくだろう。自動車は、総合エネルギー雑誌や、生活雑誌や、環境・エネルギー雑誌で扱われることになる。それもone of themとしてだ。

自動車メーカーが、家が、社会が、エネルギーが変わっていくのだから仕方がないのである。

えっ、自動車評論家はどうだってか。ウーン。廃業だな。

ちなみに村上龍氏の「13歳からのハローワーク」には自動車評論家は紹介されていない。すでに職業として認知されていないのだ。

文: 舘内端

会場の裏にはディーゼル発電機があった。これもクリーンエネルギーに早くしたい。

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