■TEXT: KINO RYUICHI
名古屋から伊勢、南紀と観光地巡りともいえる旅程をこなし、道中で多くの人情あふれる人たちに支えられてきた充電の旅。充電の旅日記を読むたびに、またエコ百景(更新が遅れていますが)を読むたびに、協力していただいた人たちとの出会いがドライバーたちに、旅を続ける力と勇気を与えてくれていることを節に感じます。同時に、自分を含め、その場にいられなかったより多くのサポーターたちの羨望と嫉妬の情念が感じられもします。さて、南紀から和歌山市内と抜けたEV-Aclassは、いよいよ古都・奈良に入りました。
明日香の道を駆け抜けて。
奈良ではまず、明日香村にある石舞台古墳に立ち寄り記念撮影。石舞台は、一説に蘇我馬子の墓ともいわれていて、巨石を積み上げた横穴式の石室が特徴です。驚いたのは古墳の石の大きさです。いったいこんなに大きな石をどうやって積み上げたのか、その方法すらわかっていません。古墳周辺は針葉樹と広葉樹が混じり合って生い茂るまる形をした山に囲まれています。ドライバーの薄井さんは「あぁ・・・・・・」と声を出しながら、感慨深げにあたりを見渡していました。
伊勢神宮では、あまりの純粋さと静謐さに涙した薄井さん。この旅で、自然に対する感情が研ぎ澄まされてきているようです。そうしたところをエンジン音のしないEV-Aclassで走っていると、古くからそこにある空気に直接触れることができる
ようにも感じるのです。
EV-Aclassはそこから甘粕を通って、橿原市内の喜多さん宅へ。ここで喜多さんが、時間の都合で寄ることができなくなりそうな近隣のサポーターの方にTEL。すると、翌日は子供の野球大会があるので、今から(夜の10時!)すぐに見たいとの返事。30分ほどでやってきたのは石川さん一家。おばあちゃんまで一緒です。急遽、EV-Aclassの充電を一時停止して、子供達を乗っけて近所を一周。音もなく住宅地を走るEV-Aclassに乗った子供達は目を丸くし、お父さんは「いいなあ、欲しいなあ」を連発。次に一家が目をつけたのは、喜多さんが通勤に使っているエブリデー・コムス。市販していると知った子供たちは「買おうよ買おうよ」。気に入ったのなら、忘れないうちに買いましょう! と、喜多さんも言ってましたよ。
喜多さんもドライバーふたりも、もちろんこの家族とは初対面。でもそんな感じはまったくなし。後になって考えてみると、充電の旅を成功させたい、充電に協力したいという共通の思いで結ばれていたせいだったのかなあと感じます。見知らぬ人が夜の10時に訪ねてきて、いきなり話が盛り上がってしまうなんてことは、今の日本じゃまず、考えられません。ここでもひとつ、コンセントつながりができました。そして喜多さんは、夜を待つ間もなく寝袋やテント、手袋、ジャケットの用意をして、コムスでEV-Aclassについていく用意も万全。遠足前日の子供状態です。「京都まで一緒に行きます」とやる気マンマンなのでした。
(その後、喜多さんは神戸までついていってしまいました)
NHKかEVか。(喜多さんち)
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橿原を出たEV-Aclassは、いよいよ世界最古の木造建造物、法隆寺へ。喜多さんのコムスが道連れです。法隆寺についたEV-Aclassクラスは、HP編集長のたっての希望もあり、まずは寺務所へ行って「充電してるところを写真に撮らせてください!」とお願い。
飛び込みでこんなことを言う集団も珍しいと思いますが、返事は「すいません。一度認めると後からまた来るので、撮影はお断りしてるんです」というもの。
う〜ん、頼み方がまずかったかなと思ったのは、法隆寺を去った後。今度からは「充電させてください」とだけお願いしたほうがよさそうだな。でも「後から同じことを頼まれると・・・」という法隆寺の懸念は当たりでしょう。日本EVクラブメンバーが充電に来る可能性がありますから。築1300年の法隆寺は、誰が何のために建てたのか、建造方法はどうなっているのかなど、詳しくわかっていないことが多い神秘の建物。ただ、1300年という時間は想像を絶するものがあります。
今のクルマはせいぜい10年もてばいいほうでしょう。舘内端代表が「100年もつクルマができたらすごいこと」と常々言っていますが、その13倍の年月の風雪に耐えているのです。そんな世界最古の建造物と一緒に、日本最新(?)のEVの写真を撮れたらなあとHP編集部では勝手に考えていたのですが、今回はタイミングを逸してしまいました。スイマセン。
京都。国宝・清水寺へ。
奈良から一路、京都へ。平城京から平安京への道は、ゴールデンウィークとみごとに重なりましたが、クラブ会員の福岡さんやアイアン・バール鈴木さんとその仲間たち、いそずみ先生の協力により無事に京都入り。その翌日は、さっそく京都の名所巡り。メルテック山際さんのワゴンR・EVと、もちろん喜多さんコムスが一緒です。まずは国宝・清水寺を訪問しました。法隆寺では玉砕しましたが、京都在住の会員、アイアン・バール鈴木さんの口添えで清水寺での充電&記念撮影がオッケーになったのです!
清水寺の管主さんの奥様はとても気さくな方。ふだんはジムニーの2ストロークのエグゾーストノートを響かせて寺務所を訪れている鈴木さんに「今日は静かですねえ」と笑っていました。清水寺へは、ちゃわん坂から境内に突入。産寧坂から上がってくる観光客は、今は補修工事中の正門前でEV軍団に出くわします。ところがぎっちょん、だぁれもEV-Aclassが近寄ってくるのに気づきません。だいたいあの喧噪の中ではエンジン車が来ても気づかないでしょうが、EV-Aclassに気づいた人も、後から2台続けて来るとは予想できなかったらしく、からだが「ピクッ!」としていました。みなさん、驚かせてすいません。
清水寺では、特別公開されている本坊の前までクルマで入りました。正面門から本坊までの道は深い緑に覆われた道が続いています。京都市内のコンクリートに覆われた道から清水寺に来ると、目にまぶしい緑に都市部との違いを感じるだけでなく、ほんとうに時間の流れるスピードの違いを意識せざるをえません。
伊勢神宮でも感じましたが、とくに今回は、(距離的には)ゆっくりしたペースのEV-Aclassの旅につきあっているせいか、時間に対する感覚が普段の生活と違ってきています。で、身の丈にあった時間の流れってこんなもんなのかなと、柄にもなく考えてみたりする時間もあったりしたのでした。
清水寺を辞去するとき、寺務所の事務のオネイサンが奥様と古澤くんを乗せて、境内からちゃわん坂の出口までEV-Aclassを運転。またもや女性陣に囲まれた古澤くんは満足気でした。寺務所の女性2人は「すごく静かなのにビックリした」とひとこと。でも顔はやっぱり笑ってました。
もっとも清水寺でも、一番の人気者はコムス。あの大きさは京都の狭い道にピッタリで、しかも古都の風情にEVはサイコーでしょう。居合わせたみんなが「コムス、いいですよお」と、まるで販売員のようなことを言い続けてました。魅力あるクルマが少ないこのご時世で、清水寺とコムスの組み合わせは自信を持って薦められる数少ない機会。その人に合った使い方ができる身の丈サイズのクルマだからこそ、みんなで寄ってたかって「どうですかあ?」と言えるのかもしれません。
京都での意外な出会い。
それから京都市役所を訪問し、「京都らしいところを見たい」というドライバー諸氏の希望のもと、撮影でよく使う祇園の橋のたもとへ。ここで出会ったのは、東京から来ていた車椅子の女性ふたり。なぜ言葉を交わしたかというと、ふたりが電動補助つき車椅子(ヤマハ・パスのユニットを付けたタイプ)に乗っていたからです。薄井・古澤両ドライバーはもちろん、山際さん、いそずみ先生、喜多さん(それにしてもこの名前、珍道中にはピッタリだな)が揃って、「あ、電池がもうないですよ」「どうしてバッテリー残量計ありとなしの2種類なんです?」「お、パスのモーターだ」「バッテリーは何?」などと質問の集中砲火。
車椅子の女の子たちは「こんなこと聞かれたのは初めて」と目をしろくろさせていました。そりゃそうでしょう。大のおとな5人が車椅子の女性ふたりを囲んで、車椅子を指さして夢中で話しているのはかなり異様です。でもみんな、とても楽しそうで、祇園の柳に笑い声が吸い込まれていくようでした。
EV旅の時間の流れ。
ドライバーふたりは、朝、起きる時間が遅いんじゃないか、一カ所でゆっくり話しすぎてるんじゃないか、ゆっくりしすぎて多くのサポーターを回れないじゃないか、夜はいろいろなものを食い過ぎてるんじゃないかなどと思われる人もいるでしょう。同行してわかったのは、それはぜんぶ正しいということです。
ただ、時間の許す限り話をすること、人との出会いを大切にする気持ち、一期一会、一宿一飯の恩義などなど、今の日本人が忘れかけている旅の醍醐味を、薄井さんと古澤さんは味わいながら歩を進めているのだと思います。これからも彼らは、サポーターのみなさんをイライラさせながら旅を続けるでしょう。まあ、暖かい目で見てください。たぶん、彼らの時間と私たちの時間の流れは、スピードがぜんぜん違うのでしょうから。
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京都市役所では、簡単なセレモニーとともに歓迎していただきました。 |
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あちこちで取材を受けるドライバーたち。自称「あがり症」の古澤クンも、この笑顔をみるとかなり取材慣れしてきた様子。 |
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5月2日には、この旅にご協力いただいている「EVメルテック」さんでイベントも開催しました。会場には手作りEVが大集合! |
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いろいろご協力いただいた日本EVクラブ会員、アイアンバール鈴木さんによる、EVジムニーのパフォーマンス。低回転でトルクが太いEVだからできる芸当なんですね! |
木野おぢさんの自己申告プロフィール
昭和41年丙午生まれの雑誌ライター(だからおぢさんと呼ぶのはやめて ※編集長注:だからおぢさんだろ)。20代の頃に旅に明け暮れた思い出が忘れられず、今でも遠くの取材があれば自費でも行くのがモットー。CGや日経トレンディ、日経ゼロワン等が主戦場になってる。燃料電池や環境問題に詳しい(※編集長注:らしい)。
本名・木野龍逸。 |
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