2001年充電の旅 CHALLENGE & CHARGE

スペシャルレポート

木野おぢさんの「北海道の旅」同行記
この旅で何が変わるんだろうかと考えてみた
2001年、夏のオハナシ

■TEXT:RYUICHI KINO


開陽台のEV−Aclass。丘の向こうにオホーツク海が見えた。

2001年8月に北海道に入ったEV−Aclassに僕が追いついたのは、霧がまったくない晴天の摩周湖だった。北海道では摩周湖から根室、釧路、帯広、そして襟裳岬をまわって苫小牧から本州に至るまでの行程をついて回ろうと考えていた。考えていたのだが、帯広に近づいたところで僕の愛車は悲鳴を上げ、修理工場から出られなくなり、僕の北海道は終わりを告げてしまった。EV−Aclassは、ご存知のようにその後も順調に走り続け、襟裳岬にも無事にたどりつき、北海道半周の旅程を乗り切ったのだった。

さて、初めて訪れた夏の北海道は天気さえよければさずがに気持ちよく、窓を全開にして牧場の間に延々と続く直線道路を走るのは、たとえ自分の車がガソリン車でも爽快だった。時折、撮影のために道ばたにクルマをとめてエンジンを切ると、わずかな風が牧草地を走る音が聞こえるだけで、昼寝には最高の場所となるのである。そんなところをEVで走っているドラ薄井&古澤はさぞかしいい気分なのだろうと、少々妬みを感じてしまうことが、しばしばどころではなく、しょっちゅうだった。


なにしろ気持ちよく走っている。あぁあ、おもしろくない。

ところで、この北海道レポートでは、いまさら旅の様子を書くのもなんなので、北海道の様子を思い出しつつ気づいたようなことをちょっと書き連ねてみたい。

まず、やっぱし北海道は広い。朝6時に苫小牧にフェリーでついた僕はそのまま阿寒湖−摩周湖を目指して走り出したのだが、さすがに途中で息切れしそうになった。なにしろ昼になっても到着しない。
おまけに直線の道も多く、ボ〜っとしてくる。
平均速度が高いことと、山越えの道は景色が抜群にいいことが救いだったが、まあ、よくあれだけの道をつくったもんだと感心するばかりだった。

そんなところを走るのだから、EVにはキツイ。北海道を走りながら薄井さんは「ここじゃあEVを使うのは難しい」と何度もつぶやいていたが、そのとおりだろう。郊外の道では時速70〜80キロが平均速度。
この流れにのりつつ航続距離を伸ばそうというのは、EV−Aclassには酷だ。
だもんで、夜半に摩周湖近くの山道で電欠になり、通りがかりのランクルに助けてもらうということも起こる。夜道で止められた方もさぞかし驚いたろうが。

ただ、こうした交通状況はEVを全否定するものではもちろんない。
そもそも“使えるところで使えるように使っていこう”というのが根本にあるのが2001年充電の旅。考えてみれば、EVで日本一周という行為じたいが、無理を通して道理をひっこめているようなものだろう。部外者から見れば。一回の充電で50キロ程度しか走らないようなクルマは、日本一周に向いているとはとうていいえない。

でも考え方をちょこっと変えて、視点をちょろっと変えてみると、EV−Aclassはダメなクルマじゃないっていうことになる。それが、この旅を実現することで見えてきたことだったし、確かめたいことでもあった。
だったら北海道でもどこでも、やりようによっては使い道があるような気もする。もっともこのことは、北海道というよりも鳥取県やネパールで感じたことだった。

鳥取在住の日本EVクラブ会員氏は、町内の農道を気持ちのいい勢いで走っていた。それこそ北海道よりも、その近辺は平均速度が高いこともある。国道9号線は島根、鳥取両県にとっては高速道路の代わりだ。
そんな地域でも、EVを使う用途がある。農家の人が自宅から農園まで行くための足になりそうなのだ。
ネパールにはネパールなりのEVがある。現地での部品の調達状況、使用方法にあわせたEVが、十分に実用になっている。

だったら北海道にも北海道なりのEVがあるのかもしれない。暖気の必要なし、簡単操作の4駆、牧場への行き来・・・。以外に用途は広いかもしれない。EV−Aclassはその一端を見せることができただろうか。
未来に希望を持った人は、どのくらいいたのだろうか。


根室の風力発電。一年中風が吹いているのでよく発電しそう。

もうひとつ。北海道ではクルマの役割がアメリカ並に大きいことを痛感した。とくに冬はそうだろうと思う。テレビドラマ「北の国から」でもクルマは大事な役割を果たしていた。人を送り、迎え、殺していた。

EV−Aclassも、北海道では北海道のクルマとしての振る舞いを要求されたこともあった。
音別の自動車修理工場にコンセントを借りにいったことがあった。
すると、休みの日に知らない人間に訪ねてこられたからか、とても不機嫌だったオヤジに「オレは誰にも迷惑かけてない。クルマが故障して止まるヤツなんか、クルマに乗る資格はない」と言われた。
確かに冬の雪の中でクルマが止まったら命に関わるから、このオヤジの言うことを否定はできない。そしてこれが、北海道のクルマの根本の意味なのかもしれない。このオヤジにとって、クルマは自立しているものなのだ。

もっとも音別のオヤジは「これからはハイブリッドなんだよ。電気なんかダメだ!」とのたまうくらいだから、いわゆるエコカーについてまったく知らないというわけでもないようだった。
ただ、その知識は、北海道の厳しい冬の中で凍りついたように凝り固まっていて、どうしたら話を聞いてもらえるのか即座には答えがでなかった。

よく考えればわかるのだが、クルマが自立しているなどということはあり得ない。排ガスも出るしガソリンもくう。道路も必要だ。自立しているというのは大きな勘違いである。
それでもこのオヤジは、長年音別で苦労して仕事をし、身体もこわし、不況の苦しい状況のなかでも、自宅を建て、生活を営んでいるというリアルさが滲み出ていて、それがオヤジにとっての自立なのである。オヤジにとってのそうしたリアルさ(リアルなクルマ)は、EV−Aclassを見ても何も変わらなかった。その反応に対して、そのときは言葉を探すことができなかった。

しかし、と今になって考える。このオヤジ、実はとても普通の人なんじゃなかろうかと。
みながみないい人ばかりだったら、諸処の問題への対応ももう少し素早くなっているだろう。これまでにも、転ばぬ先の杖を出すだけの想像力があっただろう。そういう意味では、日本のスタンダードが音別のオヤジなのかもしれない。
薄井さんは「いやあ、ああいう人がいてよかった」と感慨深げで、気が引き締まったという(などと冷静に考えられたのは、その日の夜以降だったが)。それは、旅がうまく進んで楽観的になっていたドライバーへのカンフル剤になった出会いだったようである。


根室半島の突端、納沙布岬の薄井氏は「この旅はなんなんだあ?」と。
直後に波に襲われ一言。「自然に答えを拒否されたぁ」

かと思うと、厚岸では「人助けが趣味なんだよね」と娘たちにからかわれていたオヤジもいた。このオヤジさん、テレビで旅を知り、助けねば!と思い立ち、つながらない電話を何回もかけなおし、FAXでサポーター登録をしてくれた。家族の話では、家の前で転んでケガをしたライダーをしばらく泊めたことなどあるそうだ。やっぱり人間はいろいろなのである。


厚岸の漁師さんは天然の昆布を干していた。いい顔しているのだ。

だいたいドライバーふたりにしても性格は大きく違っている。釧路では、ぼくと薄井さんは2晩続けて耐久ボーリング(ふつう、10ゲームも続けてやらないですよ)に汗を流し、調子がいまひとつだった古澤くんはあまりボーリングに興味がないようでもあり、部屋で写真の整理をしていた。

そう書くと、ぼくらが遊んでいたようだが、じっさいそれは大きく違ってはいないのだけど、ふたりが顔を会わせないような時間というのがあったほうがいいんじゃないかと、ぼくは思っていた。それまでの北海道の話を聞いていて、疲れが出ているという印象もあった。半年間、狭い車内で同じ顔を見続けるというのがどういう状態かを思い(正直な話、ぼくにはできない)、改めてドライバーふたりに感心したのも、北海道の夜だった。

東京の一歩手前にまでたどりついたころ、EV−Aclassが山梨県を通過中に、古澤くんがひとりでボーリングに精を出していたことを知った。ずいぶんとウマくなっていた。人間、変わることもあるのだと、ちょっとだけ思った。それも旅の収穫だった。


道は続くよどこまでも。。。旅は終わらないのだな

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