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【舘内レポート】愛のやりとり

11月11日。東京は曇りのち嵐。いきなり寒冷前線が関東地方に突入を図ったおかげで、ブルブルの寒さ。木枯らし1号宣言が出るとか、出ないとか。ようやく日本列島の一部は冬である。

熊本でEVスーパーセブンとお別れをして、私は東京に戻り、旅行用のスーツケースに服を詰め込んで、ドイツに向かった。ケルンで開かれるEVの学会に出席するためだというのは大ウソで、日本EVクラブと私自身の仕事に忙殺されていた。

その間にいろいろと寄本さんがやらかしてくれた(そうではなくEVスーパーセブンがやらかしたのだが)こともようやく収まって、寄本さんもEVスーパーセブンもいつもの元気な姿に戻った。ああ、よかった。

無事にこうして旅を続けられるのは、多くのみなさんのご協力とご支援のおかげだが、とくに日本EVクラブの支部のみなさんには大変にお世話になった。支部の支援なくして、この旅はできなかったし、ここまで続けられなかった。お礼を申し上げたい。こうして各支部に支えられるようになったことこそ、日本EVクラブ20年の歴史なのだとしみじみしている。

何よりも熱いご支援、ご協力を頂いたのが八戸支部=東北自動車さんである。というか、この旅は東北自動車さんと実質的な共催である。しかも、京都での修理にはわざわざ八戸から東北自動車(エコブリッジ)の恩田さんにお出かけいただけた。ありがたかった。

それから京都といえばアイアンバール鈴木さん。京都支部長である。修理のお手伝いの依頼をしたところ、一つ返事でご協力をいただけた。そればかりか、サブ・ドライバーのいない11日から14日までのサポートもお願いできた。感謝である。

熊本支部の上田ご夫妻には、EVスーパーセブンの補器類の電気系とスピードメーターのチェックとリア・サスペンションのブッシュの交換をお願いした。これもたいへんにありがたかった。その上、大歓迎会までも開いていただいて、翌日は東京に戻る熊本空港までリーフで送っていただいた。九州の人たちは人情にあついというが、熊本県人はより一層あつくてうれしい。

愛知県で参加したイベント会場には、愛知支部の井戸田さんが、EVスーパーセブンのニュースが掲載された新聞記事を拡大コピーしてパウチしたパネルを手土産に駆けつけてくれた。

八王子支部の森先生には、京都でのEVスーパーセブンの修理にあたって部品を急遽送っていただいた。使わずにすんだのだが、心の大きな支えになった。日本EVフェスティバルでの多大なお手伝いといい、ありがたくて涙が出る。

修理用部品の借用では、EVワゴンRで同じ電池、モーター、インバーターを使う山梨支部も頭に浮かんだ。お手伝いはお願いしなかったが、いざとなれば山梨支部があるというのは、なんとも心強かった。

支部ではないが、京都のIKSさんとITMさんには、何から何までお世話になった。この会社のご厚意がなければEVスーパーセブンは路頭に迷い、急速充電器のない山の中で討ち死にするところであった。

IKSさんとITMさんには急速充電システムを作っていただいたのだが、EVスーパーセブンの車検が合格せず、システムを取り付けようにもなかなか車両を京都に運べず、ご迷惑をかけてしまった。さらに急速充電器との相性が悪かったときには、エンジニアの方に京都から八戸まできていただいたのだった。その上、急速充電システムを搭載したあとで、充電器との相性を調べるべく、EVスーパーセブンをローダーに載せて京都市内の急速充電器をめぐっていただいた。なんともありがたい会社である。

そんなこともあって、車検に合格した旨をご連絡すると、社長を初め、会社を上げて喜んでいただけた。この旅の成功をもっとも喜んでいただける会社のひとつである。

そして、全国からのご支援だ。「がんばってね」の一言が、どれだけドライバーを元気づけて来たか。嬉しい声援だ。とくにあどけない顔での子供たちの声援は、孫のほしい歳だからかもしれないが、私にはとても嬉しい。

こんなに多くのご声援、ご協力、ご厚情をいただけるのは、なにも私が偉いからではなく(わかってるってか)、日本EVクラブが立派だからでもなく、EVが元来持っている魅力ではないのかと思う。

たとえば日本HV(ハイブリッド)クラブも、日本ディーゼルエンジンクラブも、日本ターボエンジンクラブも成り立たず、さらに日本NGV(天然ガス)自動車クラブも成り立たないと思える。それは、これらの自動車がほぼこれまでのインフラを使って自立できるからである。言い方を換えれば20世紀型インフラの上で自立でき、使用できるということだ。

一方、EVが走るには、これまでと違うインフラとそれを支える人々の熱い思いが必要だ。充電インフラというこれまで存在しなかったインフラを構築して、それを人々の熱い思いで支えなければ、EVは使えない。

新しいインフラが必要だということが、EVの弱点であり、だから普及しないのだといわれる。つまり、生活習慣の変更を要求するような技術、商品は普及しないというわけだ。なぜなら旧来のパラダイム=生活習慣をまったく変えずに使えるハイブリッド車は普及しつつあるではないかと。

これは何を意味しているかというと、私たちは自立(孤立)して生きられるように強いられてきたということである。親の、兄弟の、友人の、夫婦の、隣人の協力、手伝いがなくとも生活できるように、生活習慣を変えさせられてきたのである。「こっちのほうが便利だ」という甘い言葉に載せられて、核家族になり、さらに家族もバラバラになって孤食となり、友人と会っても、恋人と会っても、夫婦でも、スマート・フォンにしがみついて会話もしない生活を手に入れたのだ。

その結果、私たちは人と人の絆を失い、親の、兄弟の、友人の、夫婦の、隣人の愛を失ってしまった。その裏返しとして、(親は、兄弟は、友達は、恋人は、妻は、夫は)「何もしてくれない」と嘆くようになってしまった。「何もしてくれない」は、「してやろうにも、してあげられる人がいない」ということでもあることに気づかずに。

EVは、これまでのインフラでは自立して走れない。でもいいではないか。その代わりに、周囲からたくさんの愛を頂けるし、たくさんの愛をお返しできるのだから。

自立とは、近代という時代の呪いにすぎないのだ。

追伸

風速90メートルの台風に直撃されたフィリピンでは、1000万人近い被災者と1万人に上る死者がでているといわれる。これからはこのような巨大で強力な台風が少なくとも1年に1回は発生するという。こうした気候変動を「地球温暖化が原因ではない」などと能天気なことをいう人たちは、もういないだろう。もう元の地球の気候に戻れないという2度Cの気温上昇が目前である。私たちは、地球温暖化防止、CO2排出量削減に真剣に取り組まなければならない。そして、それはこれまでの生活習慣=文明を大きく変えなければならないということである。

(舘内 端)


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