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【舘内レポート】余計なお世話

10月17日。この日は、愛知県のクルマ未来博2013に行く。EVスーパーセブンの愛知到着歓迎式展を開催していただけるという。しかも大村秀章愛知県知事のご挨拶も頂けるというので、恐縮してしまう。

先のテュフラインランドもそうだったが、「余計なことをして……」という批判のある中で、市民活動を評価していただけるというのは大変にありがたい。私も挨拶をせよとの仰せだったので、急遽、朝5時に起きて東京から早朝の新幹線に乗って会場の長久手に向かった。

ここのところ、日本EVフェスティバルで3時に起こされ、テュフラインランドの式典で5時に起こされと、朝が苦手な私はヘロヘロになってしまった。しかし、そんなことで負けてはいられない。大事なお役目を果たさねば……。

ご挨拶にお話しようと思っていたことは2つだった。

ひとつは充電インフラ整備の世界的な位置づけであり、ふたつめは、なぜ市民がそうした活動をするのかということだった。考えてみればこの2つは、この欄でもお話しておく必要がありそうである。ということで、その骨子をここにまとめておこう。

ひとつめの話。9月にフランクフルト・モーターショーに取材に行ったのだが、ヨーロッパが猛烈な勢いで自動車の電化に取り組んでいることに気づかされた。しかも一枚岩で開発に取り組んでいる。このままでは、日本は次世代車開発で追い越されてしまうという恐怖さえ感じた。

ヨーロッパの自動車の電化の特徴は、ハイブリッド車を追い越して、いきなりプラグイン・ハイブリッド車へ、あるいはエンジンで充電して航続距離を伸ばすEVであるレンジエクステンダーへと早急にEV化していることだ。ドイツの主要なカーメーカーに取材すると、ハイブリッド車では2020年から2025年のCO2排出規制がクリアーできず、さらに高騰するガソリン価格にも対応できないというのだ。ハイブリッド車からプラグイン・ハイブリッド車へ、レンジエクステンダーへ、そしてEVへの移行は、充電インフラの整備が早急に必要であることを意味している。

ヨーロッパは充電インフラの整備、拡大に向かうことは確実だ。つまり、日本とヨーロッパの勝負は充電インフラの整備なのだ。ここで日本が負ければ、日本の明日はないとはいわないが、グローバリゼーションの今日、自動車において敗戦するかもしれない。ヨーロッパは、日本の充電インフラの整備について注視している。という危機感がある。

ふたつめの話。伊豆大島が大きな土砂災害に見舞われた。台風の巨大化と進路の変化が、原因のひとつだろう。気候変動の研究者たちが口を酸っぱくしていってきた災害がそのまま起きている。地球温暖化は徐々にではあるが確実に進んでいる。

一方、ガソリン価格は多少の上下はあるが、これも確実に高くなっている。ヨーロッパでは2020年のガソリン価格をリッター400円と、日本のあるカーメーカーは300円と想定している。今後も安くなることはない。

地球温暖化は石油に代表される化石燃料の消費によるものである。その石油の生産がピークを迎えている。石油でしか走れない自動車の未来はない。20世紀は石油の世紀と呼ばれた。私たち市民もその恩恵を受けた。そして、石油の世紀であることを支持してきた。地球温暖化も石油エネルギーの危機も、文明の問題である。その文明の中で生きてきた大衆である私たち市民に責任がないわけではない。

とすれば、大衆・市民も、この2つの問題の解決に向けて行動を起こすべきではないのか。というのが、私たち日本EVクラブの考えであり、この旅を展開する主旋律である。

しかし、地球温暖化も石油危機も、私には責任がないという考え方もある。それらは行政府と企業に責任があり、彼らの起こした問題であると。という立場であれば、私たち日本EVクラブの活動は「余計なこと」になる。

EVスーパーセブンが走った足尾の町の山肌は、銅の精錬の際に出た亜硫酸ガスと大きな森林火災によって裸である。まったく木のない山肌に、鋭い岩峰が露出している。そこを私も星野富弘も亜硫酸ガスを浴びながらよく登った。高校生だった私にとって、公害という問題の直接的体験であった。

同様なことは、これからEVスーパーセブンが訪れる水俣でも起きた。水俣病である。この2つの問題は、いわゆる公害という問題である。生産拡大、経済成長を狙って産業化を急ぐあまりに起きた問題であった。公害には原因企業が存在する。原因を取り除き、100年も過ぎれば(足尾鉱毒事件がそうだ)、解決の方向に向かう。加害者と被害者がはっきりしている。大衆は被害者である。加害者ではない。

では、地球温暖化はどうだろうか。私には地球温暖化は被害者が加害者であり、加害者が被害者であるように見える。石油資源の危機も、同様な問題なのではないだろうか。とくに石油を大量に消費し、CO2を大量に排出し、その結果として多大な文明の恩恵を受けた、いわゆる先進国に住む私たちの責任は重いのではないだろうか。

この旅が、「余計なお世話」なのかどうか。真剣に考えようと思う。いろいろなご意見をいただこうと思う。そこから新たな活動が生まれてくると思うからだ。

話が長くなったが、旅もそろそろ中間点にさしかかるので、こんなことを話す良い機会だと思うのだ。

(舘内 端)


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