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【舘内レポート】ドライバー紹介、その1。

10月23日。

東京は曇り。四国は台風接近で雨。

日本EVクラブの事務局はEVスーパーセブンが無事に走れるか心配で昼寝もできないでいるはずなのだが、私はいつものようにお昼寝。

本日は旅に参加いただいている自動車評論家、モータージャーナリストのみなさんをご紹介しよう。ほんとうは旅が始まる前にご紹介しなければいけなかったのだが、いつもの人たちなので、うっかりしてしまった。

 

石井昌道さん。

今日、23日のドライバーは石井昌道さん。業界では“ぼんちゃん”のニックネームで通っている。石井さんは長く自動車雑誌のTipoの編集をしていた。さらに仕事の幅を広げようというか、好きな自動車にもっとかかわりたいとフリーのジャーナリストに転身した。私もTipo誌とは長いお付き合いなので、石井さんとも長い。もう50年近くなる(ウソ)。

石井さんは、最近、好きが高じて自腹でスーパーセブンの取材に英国までいってしまった。日本の軽自動車の枠にはまる“スーパーセブン軽”の開発が進んでいるということなのである。残念ながらEVではないが、値段もこなれているということだから、セブン・ユーザーが増えるのではないだろうか。詳しくはTipo誌をご覧あれ。ちなみに東京モーターショーに出展されるホンダの軽スポーツよりも、スーパーセブン軽の方が私にはずっと魅力的である。

石井さんは、著名な英国のジム・ラッセル・レーシングスクールの卒業生だ。日本人の卒業生もたくさんいるが、かつて天才レーシングドライバーと呼ばれた生沢徹氏もそうだ。えっ、知らないってか? まあ、知っているとお年がばれるが。石井さんが主席で卒業したかどうかは聞き忘れたが、それもあってクルマの運転の腕は確かである。それからエコドライブが流行になるずっと前から、国の仕事でエコドライブの研究と啓発活動をしている。エコドライブのスペシャリストでもある。もっともその仕事に石井さんを押し込んだのは私だが。

 

津々見友彦さん。

石井さんと交代して四国、九州・鹿児島まで担当するのは津々見友彦さん。御年85歳である(ウソ)。85歳ではないが後期高齢者一歩手前。しかし、元気溌剌。まだまだ速い。その秘訣は、どこへでも生命維持装置を全部抱えて自転車で走っていくことにある。東京都内はもちろん、箱根の試乗会から筑波サーキットの日本EVフェスティバルまで、とにかく陸地は自転車でいく。

ちなみに“生命維持装置”とは、地震・洪水・雷何が起きても生き残れるだけの衣類から食料、医薬品までを大きなバッグに詰め込んだものだ。津々見さんに「中身を見せてよ」というのだが、けっして見せてくれない。それで津々見さんがいない時にそっと覗いてみたら、“特濃ミルク”やら“かりんとう”やらが詰まっていた。しかし、中身の中心は情報機器である。

私のPC初めはNECの8001だった。これはいわゆるワード機能がアルファベットだけだった。そこで原稿を書くべくワープロを購入したのだが、その面倒をみていただいたのが津々見さんであった。77年に初めてF1GPの海外取材にでかけたのだが、その時、旅行用の大きなバッグを貸していただいたのが、これまた津々見さんであった。ありがとうございました。

それよりも何よりも、富士スピードウエイで開催されていたグランド・チャンピオン・シリーズ戦を戦っていた津々見さんをエンジニアとして私はサポートさせていただいた。さらにスズカサーキットでのF2レースのサポートもさせていただいた。いずれも70年代のことであった。津々見さんと私のモータースポーツのつながりは長くて濃い。

 

国沢光宏さん。

鹿児島で津々見さんと交代するのが、国沢光宏さん。ブログの信者が4万人? という大人気の自動車ジャーナリスト。今回、旅でハンドルを握っていただく自動車評論家、ジャーナリスト諸氏は、いずれもEV大好き人間だが、国沢さんはリーフを購入してユーザーになっているどころか、リーフをラリー車に改造してWRCならぬ全日本ラリー選手権に出場してしまったほどなのだ。

では自動車に乗るといつでもアクセル全開かというと、そうなのだが、公道では安全運転だ。いつだったか東名の厚木付近でプリウスをシトッと運転していたお姿を拝見した。かくいう私はその国沢さんを一瞬にして追い抜いたのは、どうしてだろうか。

国沢さんには、日本EVクラブ製作(といっても私の設計だが)の恐ろしいレーシングEVに数多く乗っていただいている。中でもプリウスのニッケル水素電池を搭載したERK(電気カート)であるZEK-02は大変に失礼した。

お台場で日本EVクラブの総会を行なった後、近くの駐車場を借り切ってアーバンEVモータースポーツなるイベントを行った。暗くなってからは、かがり火を焚いた(実際に薪を燃やした)暗闇でヘッドライトを点けたZEK-02を走らせた。

整備したテントから走り出したのだが、加速力の凄さを伝え忘れたこともあって、乗った国沢さんはいきなりアクセルを全開にしてロケットのようにテントから飛び出した。頸を後ろにのけぞらせて、それでもアクセルを緩めず駐車場の金網まで走って行ったお姿が神々しかったのを覚えている。ZEKは日本語で“絶句”と書くのでした。失礼しました。

国沢さんとはスキー友達であるが、ここでも全開で滑るという話は、またの機会に。

(舘内 端)


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