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【舘内レポート】屋久島を見習おう

10月31日(木)。

今日は羽田から大阪経由で屋久島へ。空港に着くと、1年366日雨が降るといわれるほど年間降雨量の多い屋久島が晴れていた! これぞサプライズである。

そうそう。雨男の異名を拝受した片岡さんがいなくなり、嵐を呼ぶ男の津々見さんも東京に風邪を持ち帰っていなくなり、代わりに全開晴れ男の国沢さんがきたのだ。その上、JAF MATE編集長の鳥塚さんと私も加わったのだから、晴れて当然だ。

屋久島はこれで3度目のはずである。1度目は鉛電池の電気自動車であったEVランサーと一緒に来た。確か95年か、96年である。このときも天候には恵まれた。

EVランサーは、手作りEV教室第二期で生徒と一緒に作ったEVである。このときも三菱自動車さんには大変にお世話になった。この教室は、改造電気自動車ブームが来るずっとずっと前の95年に開催されたもので、ランサーのエンジンを取り外すことから始めて、スズカサーキットまで走っていくというアドベンチャーまで行なうものであった。

二度目は、ホンダの下島専務(当時)といっしょに、屋久町に寄贈したEVプラスというホンダのEVの様子を確かめに来たのだった。ニッケル水素電池ではあったが、トヨタのRAV4EVと肩を並べて当時のEVの頂点に輝いた電気自動車であった。もちろん、元気に活躍していた。96年か97年ごろのことだっただろうか。

私は来られなかったのだが、2001年の「お宅のコンセントを貸してください。EV Aクラスでめぐる日本1周の旅(2001年充電の旅)」で、日本EVクラブのメンバーが屋久島に来ている。このときのコーディネーターも寄本さんであった。

そして私としては、今回が3度目である。

10数年ぶりに訪れた屋久島の印象は、ずいぶんと開けたというか、道路がきれいに整備され、お店も増え、外人さんも含めて観光客がずっと多くなりと、なんだか明るい島になったというものであった。ユネスコの自然遺産に登録されて20年以上だと思うが、その効果がいろいろなところに現れているのだろう。よかった。よかった。

それよりも何よりも、かつては数台しかなかったEVが、どどっと増えているではないか。このことが一番の驚きであった。しかも、急速充電器は4箇所もあるのだ。屋久島は今、EVブームなのだ。

EVランサーでお邪魔したときには、屋久島がエネルギー循環型の島であることや、自然と共に生きる工夫がたくさんなされていることなどを学ばせていただいた。とくに、かつての屋久町の町役場の人達には大変にお世話になった。

そして、その当時からEVの導入にはたいへんに熱心だった。鉛電池の電気自動車のために2基の急速充電器を設置してしまったほどなのだ。そうした町を上げての取り組みが、今日の島を挙げてのEVブームとして結実しているのだろう。ご苦労様でした。よかったですね。

私は、屋久島には必ずEVを介してやってきていることになる。最初の屋久島との出会いから数えると、20年近い年月が過ぎたわけだが、とうとう屋久島がEVランドになるべく出発したということは、何度もいうが大変な驚きである。変えようと決意すれば、変わるのだと、ひしひしと思った。継続は力であり、継続は情熱であり、継続は強固な意思であり、継続とはそもそも本来の人間の生き方に違いない。

20数基の急速充電器がある沖縄本島もそうだが、島にEVは合う。とくに水力発電で95%近い町の電力を担える屋久島は、本当にEVがゼロエミッションの自動車になれるのだ。このことを敷衍(ふえん)すれば、島国である日本もまたゼロエミッションの島になれるということになる。それには情熱と努力を固い意志を持って継続することである。

屋久島を見習おうではないか。

(舘内 端)


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