民宿『六大工』
朝、久慈日産での充電場所へ応援に駆けつけてくれた小國太史さん。彼の実家が、大槌町にある民宿『六大工』だ。
一度電話してご都合を伺い訪問する時間を決めた。でも、山田町で『いっぽいっぽ』に道草してしまったので、およそ30分遅れでの到着になった。宿は週末で満室。夕食の準備などで忙しい時間にもかかわらず、太史さんのご両親である、小國泰明さんと美子(よしこ)さんは、とびきりの笑顔でわれわれを迎えてくださった。
名字は小國さんで、泰明さんは漁師なのに、どうして民宿の名前が『六大工』? と訪ねてみると。
5代くらい前、入り婿の六松さんという船大工がいた。すごく働き者で家を豊かにしてくれて周囲の信用も篤くなり、小國家の屋号は船大工の六松さん、ということで『六大工』になったらしい。
自分の家系を5代もさかのぼって誇りにできるのはすばらしい。
ところが。
震災の津波では、おそらくは六松さんの頃から受け継いだ、広い日本庭園のあった家(民宿)の建物や、泰明さんの愛車のジャガーが流された。
建物は基礎だけ残してすっかり流されてしまい、庭にあった池の大きな石組みが残っていたことで「家のありかがわかった」という。また、一度はどこかに流されてしまったジャガーは、津波に浮いて漂流した末に、家のあった場所の目の前に戻ってきていたらしい。
もちろん、もともと家があった場所への愛着や思いは捨てきれるものじゃない。
でも。
泰明さんは、復興の作業でやってくる人たちの「誰か宿をやってくれ」という声に、「オレがやらなきゃ誰がやる」と、還暦にしてうん千万円の新たな借金をして、民宿を再開する決意をした。
国からは、およそ半額の補助が得られたという。
復興支援の補助金の使い方がけしからん、とか、遠巻きに批判するのは簡単だ。
でも、本当に有効な使い方を、具体的に提言して実現していくのは難しい。
きっと。
役人さんが頭でっかちに考えるプランより、被災した当事者のみなさんが抱える心意気にお金を投じることが、もっとも生きたお金の使い方になるのだろう。
心意気たっぷりを演じる不心得者も、少なからず現れたりもするのだろう。とはいえ、ウソの、あるいは実現できないで終わってしまう心意気にだまされるくらいの方が、虚飾の利権にお金を吸い取られるよりマシな気もする。
時代は、心意気が作るのだ。
六大工から出発する時、見送りに出てきてくださった泰明さんがつぶやいた。
「なに、そのうちいつか、またジャガーを買い直すから」
クルマは、人の夢にもなる。
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