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陸前高田

陸前高田を訪れるのは2度目になる。10年ほど前、普通の家族の豊かな生活をレポートする、といった内容の企画で、陸前高田で暮らす若いご夫婦を取材した。

このお宅は海岸の松林のすぐそばにあり、母屋とは広い庭を隔てた倉庫の軒下に、ご主人の趣味というジェットスキーが置かれていた。

3.11。

テレビのニュースで、なぎ倒された高田松原の映像を見ながら、痛恨の思いを抱いていた。あのご家族はご無事だろうか。

 

被災後の陸前高田を訪れるのは初めてだ。坂道を下り、かつて町があったはずの荒れ地を走りながら、腹の底が震えるような痛ましさを感じた。

とはいえ。

一度取材した人が住んでいたというだけで、私の生活にはまるで関係のない町が、ひとつ、失われただけのこと。どうして、私はこんなに悲しいんだろうと考えた。たくさんの人の命が奪われたのは悲しい出来事ではあるが、だからといって、私自身や、私の家族や、喜びを分かち合った友人や、懐かしい恋人が帰らぬ人になったわけじゃない。

ふと。

私は、自分が津波にのみ込まれることを想像して震えているんじゃないかと思い至った。高いビルの非常階段から地面を見下ろし、足がすくむのに似た恐怖心。私は、自分自身の死を恐れているだけなのではないか。

つまりは、同情だ。

いつかのドラマの名台詞にあったように、同情だけで、被災した人たちの何かを救うことはできない。被災地の復興に役立ちたいなら、同情や恐怖をエネルギーにして、何か、行動しなきゃいけない。

「奇跡の一本松」を見に行った。一本松を見に来る人のために造成された駐車場には、売店などが並ぶテントがあった。

向かって右端が、広田湾漁協と、漁協の海産物を扱う川端商店の直売所。おいしそうな昆布や昆布の加工品も気になったが、旅の空はまだまだ続く。ホテルの部屋でビールを飲むときのつまみになりそうな『いか炉端焼』(粗く裂いたスルメのような加工食品)を買った。

その隣では、『ゑびすプロジェクト』という社団法人が、津波になぎ倒された松の木のお札を売っていた。1個500円。手作りだから、木目の風合いや焼き印の位置などが違っている。じっくりとお気に入りの1個を選んで買った。

大きな寄付や、ボランティアで被災地に長く身を投じることは難しいけど、少しでもお金を置いていきたいと思ったからだ。同情するなら金をくれ、という言葉は真実だと思う。

ゑびすプロジェクトを主宰する後藤勇一さんは、福井市議を2期務めた経歴の持ち主で、震災後は陸前高田でのボランティア活動に身を投じているらしい。現場では「福井から来ている」程度の話しかせず、元市議だったというのは後でネット検索して知った。

だから、後藤さんが、ご自身の生活をどんなふうに支えているのか、詳しい話は聞けていない。きっと、金銭的には大変な面もあるのだろう。

でも、後藤さんは、ボランティアとして陸前高田の人たちの役に立つのが楽しいに違いない。

人は誰でも、自分のために生きている。自分のための金儲けにこだわるのもいいだろうが、楽しむために生きるのも悪くない。

私は、楽しんで生きている人と会うのが好きだ。

 

一本松からの帰り際。

川端商店の栄子さんが、EVスーパーセブンに駆け寄ってきて、私が『いか炉端焼』と迷った『おつまみ板昆布』を、「疲れたらこれ食べなさい」と、助手席においてくれた。

「とんでもない。じゃあ、お金を払います」と言ってはみたが、もちろん、おかあさんはお金なんて受け取ってはくれなかった。

とてもうれしかった。

同情だけじゃ役に立たない、と書いたけど、同情や共感は、ときに、お金より強くてうれしいものだ。


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